2012年3月28日水曜日

囲碁、将棋の封じ手について。 封じ手は、封じる側、そうでない側、どちらが有利...

囲碁、将棋の封じ手について。



封じ手は、封じる側、そうでない側、どちらが有利なのでしょうか?

ウィキを見ましたら…


6人のプロ将棋棋士に封じ手の戦略や駆け引きについて質問している[1]。羽生・森内・谷川はそれほど気にしていないが、佐藤・渡辺・藤井は駆け引きがあると回答しており、特に渡辺と藤井は「封じる側が有利」としている。



…と、書かれていましたが、自分は封じられる側の方が有利な気がします。

理由は、封じられる側は、封じ手を予想できる限り予想して、それぞれの場合の応手を次の日までの時間を使って考えれば、次の日対局が始まって、持ち時間外で考えた手をノータイムで打てるのでは…と素人的には考えてしまいますが。

例えば将棋で王手をかけられたり、囲碁で大石に当たりをかけられた状態で(次の手が容易に予想できる展開で)封じ手をする棋士はいないと思いますが、

予想しにくい展開であれ、封じられる側は何通りも予想し、それぞれの応手を考えておくことができる分有利だと思いますが…

みなさんはどう思うか教えていただきたいです。


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封じ手は、現在の打ち掛け・指し掛けありの制度の中では、もっとも公平だ、ということになっている、のですが。



『封じられる側は、封じ手を予想できる限り予想して、それぞれの場合の応手を次の日までの時間を使って考えれば、次の日対局が始まって、持ち時間外で考えた手をノータイムで打てるのでは…』

↓↓↓

『封じる側は、封じ手のその次の手を予想できる限り予想して、それぞれの場合の応手を次の日までの時間を使って考えれば、次の日対局が始まって、相手の打たれた手に対して、持ち時間外で考えた手をノータイムで打てるのでは…』



という考えなんです。



ですが、これって、封じ手に命令手:碁で言えばコウダテのような、相手が受けるに決まっているというような手を、作戦として使わない、という性善説が基本の話ですね。



「駆け引きがあって、封じる側が有利」というのは、悪く思えば、そういう合法的な作戦に出られることもあるでしょうが、良く取れば、「作戦の岐路。複数の着手があって、迷うような場面では、『こっちの手でいこう』と決めて封じるほうが、『どっちの手でくるのだろう』と迷ったまま翌日まで過ごすより、有利」という考えでしょうか。



でも、それって、気持ちを割り切ることができるかどうかの性格の問題です。

迷う場面だったら、封じた後に、あれで良かったか?と思いなおして悩む人がいれば、封じられた側も、「どっちできても、その時対応すればいい」とあっさりする人もいます。

結局、気持ちが切り換えられれば、どっちだっていいんですよ。

元々、棋士は、打ちかけの夜に、必死に調べるなんていうことは、ほとんどしないらしいですから。





封じ手というう制度が、初めて公式対局に用いられたのは、本因坊秀哉の引退碁であったと思いますが、このときの対局相手、木谷實が、まさに、そういうトラブルになりかねない手段に出ています。



中央で切り込んで、さあ戦い、という場面の封じ手で、全然関係のない石の一眼を潰して、生きるための手入れを強要する、コウダテのような手を打った場面があります。

秀哉名人も、声には出さなかったものの、立会い人や観戦記者(川端康成)を、外に呼び、「あんなコウダテのような手を打って、一晩考えようとするのはズルい」と、怒りをあらわにしたのでした。

その数手後に、秀哉名人のミスが出て形勢がはっきり傾くのですが、この怒りの気持ちが影響しているものと考えられています。



しかし、対局当時は、そう疑問視された木谷の手も、あとから、「今が打っておくタイミングだ」という意見も出てきました。この碁の解説をした呉清源は、今打っておかないと、あとからヨセの具合が違う、と指摘し、木谷も「いつか打たなければと思っていた」と言う。

秀哉自身も、対局の翌年に出版した自戦解説では「この手は、今がきかすべきタイミングだ」と認めました。



手段としては、正当でも、意表をついたという点では、木谷も自分で想定はしていないとしても、盤外戦術的につかわれてしまった例かもしれません。



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囲碁では封じられる側が有利と言われて居ます。最近は言われなくなりました。

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